
ロウ症候群(Lowe syndrome)は、1952年に米国のCharles U. Lowe博士らによって初めて報告された遺伝性疾患です。正式名称は「眼脳腎症候群」(oculocerebrorenal syndrome of Lowe: OCRL)とも呼ばれ、眼症状、中枢神経症状、腎症状を三主徴とする希少疾患です。X連鎖性劣性遺伝形式をとるため、ほとんどが男児に発症します。発症頻度は約50万人に1人と推定されており、日本国内の患者数は約500人程度と考えられています。
ロウ症候群における眼症状は、疾患の最も早期に現れる特徴的な症状です。ほぼ全例で両側性の先天性白内障が認められ、出生時から存在します。この白内障は水晶体上皮の遊走障害によって生じるとされています。白内障に対しては通常、生後早期に手術が必要となりますが、手術後も視力は20/100(0.2)以下にとどまることが多いとされています。
また、約半数の患者でシュレム管の形成障害による先天性緑内障を合併し、眼圧上昇により視神経が障害され、適切な治療がなされないと失明に至る可能性があります。その他の眼症状として以下が挙げられます。
特に注目すべき点として、思春期以降に角膜にケロイド様の増殖性病変が生じることがあり、これは進行性で失明の原因となり得ます。また、保因者女性の約90%以上に水晶体の微細白濁が10歳以降に認められるため、保因者診断の手がかりとなります。
ロウ症候群の神経症状は多岐にわたり、患者の生活の質に大きく影響します。出生時から筋緊張低下(新生児筋緊張低下)が認められ、いわゆる「floppy infant(だらんとした赤ちゃん)」の状態を呈します。この筋緊張低下は、哺乳困難や呼吸問題を引き起こすことがあり、また運動発達の遅れにもつながります。
知的障害や発達遅滞の程度には個人差がありますが、大半の患者は軽度から中等度の知的障害を示します。知的能力の分布
自立歩行が可能になるのは通常6?13歳頃とされており、定型発達児と比較して大幅に遅れることが一般的です。また、約半数の患者で6歳までにけいれん発作が出現し、抗てんかん薬による治療が必要となることがあります。
行動面では、特に思春期以降に自傷行為などの問題行動が約半数の患者に認められるようになります。その他、注意欠如・多動性障害(ADHD)や強迫性障害などの精神症状を合併することもあります。
脳MRI検査では、脳室周囲白質や卵円中心部に高信号と微細嚢胞が認められることがありますが、これらの所見と臨床症状との間に明確な相関は認められていません。
腎症状はロウ症候群の重要な臨床像の一つであり、生命予後に大きく関わります。特徴的なのは近位尿細管機能障害で、いわゆるファンコニ症候群の病態を呈します。
ファンコニ症候群とは、腎臓の近位尿細管で本来再吸収されるべき物質が尿中に漏出してしまう状態です。具体的には以下の物質の再吸収障害が起こります。
これらの物質が尿中に排泄されることで、代謝性アシドーシス、電解質異常、脱水などが生じます。特に重炭酸イオンの喪失による代謝性アシドーシスは、血液が酸性に傾く状態で、成長障害や骨の石灰化障害(くる病/骨軟化症)の原因となります。
腎症状の特徴として、アミノ酸の尿中漏出は生後1年頃から始まることが多く、これが診断の遅れにつながることがあります。また、10歳頃から糸球体機能障害が徐々に進行し始め、タンパク尿や腎機能低下が認められるようになります。腎不全は緩徐に進行し、最終的には末期腎不全に至ることがあり、これが約30?40歳での生命予後の制限因子となっています。
ロウ症候群の診断は、特徴的な臨床症状と検査所見から疑われ、遺伝子検査によって確定診断されます。診断の流れは以下の通りです。
OCRL1遺伝子はX染色体上に位置し、イノシトールリン脂質を分解する酵素であるOCRL1タンパク質をコードしています。このタンパク質は細胞膜を介した物質の出入りや細胞骨格の制御などに関与していると考えられています。
ロウ症候群の遺伝子変異はエクソン9-22に多く、ほとんどが家系特異的な変異(private mutation)であり、特定のホットスポットは認められていません。また、変異の種類と臨床像との間に明らかな相関は報告されていません。
鑑別診断として重要なのはDent病です。Dent病もOCRL1遺伝子の変異で生じることがありますが、変異好発部位が異なり、眼症状や神経症状を欠くことが特徴です。
現在のところ、ロウ症候群に対する根治的治療法は確立されていません。治療の中心は各症状に対する対症療法となります。薬剤師として関わる主な治療アプローチは以下の通りです。
1. 眼症状に対する治療
2. 神経症状に対する治療
3. 腎症状に対する治療
薬剤師として特に注意すべき点は、多剤併用による相互作用や副作用のモニタリングです。例えば、抗てんかん薬と向精神薬の併用による中枢神経抑制作用の増強や、電解質補充剤間の相互作用などに注意が必要です。
また、腎機能障害を有する患者では、多くの薬剤の用量調整が必要となります。腎機能に応じた適切な投与量の設定や、腎毒性のある薬剤の使用制限などについて、医師への情報提供を行うことも重要な役割です。
さらに、患者家族への服薬指導も重要です。特に小児患者では、内服薬の剤形選択(シロップ剤、細粒剤など)や味の工夫、服薬コンプライアンスの向上のための工夫などについてアドバイスを行うことが求められます。
ロウ症候群の病態解明と治療法開発に関する研究は世界中で進められています。最新の研究動向と将来的な治療展望について紹介します。
1. 病態メカニズムの解明
OCRL1タンパク質は、イノシトールリン脂質の一種であるホスファチジルイノシトール4,5-ビスリン酸(PIP2)を脱リン酸化する酵素です。近年の研究では、OCRL1の機能不全により以下のような細胞内プロセスが障害されることが明らかになってきています。
特に一次繊毛の機能障害は、腎尿細管細胞や神経細胞の機能に重要な影響を与えることが示唆されており、ロウ症候群の多彩な症状との関連が注目されています。
2. 遺伝子治療の可能性
X連鎖性単一遺伝子疾患であるロウ症候群は、理論的には遺伝子治療の良い適応となる可能性があります。現在、アデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いた遺伝子導入や、CRISPR-Cas9システムを用いた遺伝子編集技術の応用が研究されています。
特に眼は免疫特権部位であり、遺伝子治療の標的として適しているため、眼症状に対する遺伝子治療の臨床応用が最初に実現する可能性があります。
3. 薬理学的シャペロン療法
一部のミスセンス変異によるロウ症候群では、変異OCRL1タンパク質の折りたたみ異常が病態の本質である可能性があります。このような場合、低分子化合物である薬理学的シャペロンを用いて変異タンパク質の正しい折りたたみを促進し、機能を回復させる治療法の開発が進められています。
4. 腎保護療法の進歩
腎症状はロウ症候群の予後を大きく左右する因子です。近年、腎保護効果を持つ薬剤の開発が進んでおり、SGLT2阻害薬やMR拮抗薬などの新規薬剤の応用が検討されています。これらの薬剤によって腎機能低下の進行を遅らせることができれば、生命予後の改善につながる可能性があります。
5. 再生医療の応用
iPS細胞(人工多能性幹細胞)技術の進歩により、患者自身の細胞から作製したiPS細胞の遺伝子を修復し、目的の細胞に分化させて移植する再生医療の可能性も検討されています。特に腎臓や水晶体などの組織再生への応用が期待されています。
これらの研究は現在も進行中であり、近い将来にロウ症候群の治療オプションが大きく広がる可能性があります。薬剤師としては、これらの最新研究動向にも注目し、新たな治療法が臨床応用された際には、適切な情報提供や薬学的管理を行うことが求められるでしょう。
ロウ症候群の治療に関する最新情報については、以下のリンクも参考になります。
小児慢性特定疾病情報センター - ロウ(Lowe)症候群